mini miniけんちゃんのt-talk       〜5年目の学生編〜

右側のカレンダーの日付をクリックしたら過去の日記も見れます。お薦めは12月17日「健司とコーポと萌えるゴミ」です。2005年を象徴する内容となっております。
paperboy&co.
【地域活性化】 人の声
突然ですが、大学コンソーシアムという言葉をご存知でしょうか?

コンソーシアムとは「ある目的のために形成された,複数の企業や団体の集まり」という意味なのですが、大学コンソーシアムという組織は、『産学官の連携による「活力ある人づくり・街づくり」』を目標として、10年前に京都で生まれました。

それ以来、人口の10%が学生という『学生の街、京都』を発端にして、各県で、『産学官の連携による「活力ある人づくり・街づくり」』を目標とし、大学コンソーシアムという組織ができていったそうです。

そして、僕が今、住んでいる岡山県は、各都道府県の人口の中で学生の占める割合が全国で5位(岡山県には16の大学があります。)だそうです。

それなら岡山もと!、京都に負けまいと!、数年前より、「大学コンソーシアム岡山」という組織が作られました。

そしてそして明日、岡山国際交流センターの地下レセプションホールでプレゼン大会(コンソーシアム岡山のロゴデザインコンテスト)の決勝戦があります。

(なんと優勝者が考えたロゴがコンソーシアム岡山という岡山の大学連合+産官のバックアップの組織のロゴになります。)

明日、空いている方は応援お願いできないでしょうか?プレゼンの一部に会場と一体化する作業がありまして(5秒で覚えられる作業です。)

場所:岡山国際交流センター地下のレセプションホール
日時:11月15日(土)13時30〜16時(途中入退場自由です。)

皆さんお忙しい方なか申し訳ございませんが、もしよろしければ、僕のプレゼン時間(午後二時過ぎから5分くらいの間)だけでも、来て居てくれれば嬉しいです。

ちなみに、場所である岡山国際交流センターとは、パスポートを発行してくれるところで、岡山駅より徒歩2分くらいのところです。

よろしくお願いします。

ここからは、僕の勝手な感想と推測でものを喋りますが、

こういった組織ができて、ロゴを公募で募集することによって、街や人の声を拾ってすくいあげてくれてる気がします。

もしかしたら、10年前京都で大学コンソーシアムという組織ができたのも、「もっと皆で協力して自分らを盛り上げていこ〜ぜ」みたいな感じの誰かの声が誰かに届いたことがきっかけで、

数年前に大学コンソーシアム岡山ができたのも、「何か京都に面白い組織ができたらしいで〜!!それなら俺らもマネしよ〜ぜ!!」そんな感じの発祥だったりするんじゃないかな〜と思います。

そんな感じでいいことは著作権とかない部分ではどんどんマネしてっていいんじゃないかなと思います。

人を傷つけるのが誰かの声なら、人を勇気づけるのも誰かの声で。

僕自身、人の声にパワーをもらっています。

「お前なーそーゆーとこ直せよ!」

この声は僕に反省をくれた。

「お前なー、周りのことなんて気にすんなよ!」

この声は僕に勇気をくれた。

「お前のそーゆーとこ凄いと思うわ!」

この声は僕に自信をくれて。

人の声、待っています。

そして、明日は見に来てくれた人全員に少しでも声を返したいです。


| けんた | - | 14:42 | comments(2) | trackbacks(0) | ↑TOP
【日常】 食パンの無限の可能性
それは先週のできごと。

木曜の4限、提出のレポートを何とかせねばと思いながらも食パンを焼いていた昼頃のことでした。

ある疑問がふと僕の頭の中をよぎった。

食パンマンって焼いたら、パワーアップするんじゃないかな???

試してみたいです。

もっと欲を言えば、彼にはジャムをぬりたいです。

ぬりたくってやりたいです。

今まで言おうか言うまいか迷っていたけど、彼って実はアンパンマンの中では相当、ポジションが低いのではないだろうか?

幸子(仮名)がスーパーの特売に出かけて、一人、とある集合住宅の一室で留守番をする健司、五歳(仮名)

お腹が空いて泣いている健司。

そこへやってきたアンパンマン、カレーパンマンそして食パンマン。

アンパンマン「やぁ健司君(注・ヒーローとは初対面の相手の名前を知っているものである。)お腹が空いて泣いているんだろ???(注・ヒーローとは泣いている理由も知っているものである。)僕を食べなよ??(注・ヒーローとは少し過激である。)」

つまり、ヒーローとストーカーは紙一重であるという構図がここに出来上がってしまう。

健司「わーい、ありがとう、アンパンマン。」

カレーパンマン「俺も食べなよ。」

健司「わーい、ありがとう、カレーパンマン。」

食パンマン「私も食べなよ。」

健司「ちっ、ただの食パンかよ。味ついてないのかよ。ヒーローなのにしょぼいんだな。」

酷い言われようである。

現実に直面する食パンマン...やり切れぬ思いの食パンマン。

そう、彼も実は気づいていたのである。

自分のポジションというものに。

アンパンマンやカレーパンマンに比べると、自分にはこれといった味がない。

食パンだから。

気づいている自分を偽ろうと必死だったのである。

彼は彼で相当、悩んでいたのである。

一時は、自分で自分をわざと傷つけて、非行に走ろうとしていたかもしれない。

サンドイッチマン(卵味)

とか。

彼は彼なりの味を探すことに必死だったのだ。

自分探しの旅を今も続けているに違いない。

でも、もっとよく考えてみろよ、食パンマン。

お前は無限の可能性を秘めている。

苺、オレンジ、ブルーベリー、カカオ、

そして甘くて酸っぱいマーマレード。

アンパンマンにカレーパンマン。

彼らはもう完成型なんだ。

それに比べてお前はまだ若い。人生を諦めるのには、まだ若すぎるんだ。

僕は彼にそう言いたい。

それなのにイジケている食パンマンに僕は焼きをいれたい。

オーブントースターで。

そしたら、彼も少しは変わるんじゃないかな?

と、そんなこんなを考えていたら、4限がもーすぐ始まりそうでした。

この時の「食パンマン論」を今日のレポートに何とか応用できないかと考えていました。

無理だと頭ごなしに言う人もいるかもしれませんが、頭っから無理と決め付けたら、できるものもできません。

食パンマンと同じように僕らには無限の可能性がある。

はっきりそう言えます。


しかし、現実はそう甘くなく、この理論をレポートに応用できなかった自分がいました。

なぜなら、今日のレポートは英文法についてのレポートだったからです。

「食パンマン論」を英文法に応用するにはあまりにも時間が足りな過ぎたのです。

慌ててレポートを完成させてから、4限の教室に向かうと、5分遅れたにも関わらず、先生がまだ来ていませんでした。

これはチャンスと思い、僕は自分の研究に取り掛かりました。

30分たっても、先生が来ていない時点で少し変だなと感じました。

時間には厳しい方だからです。

緊急時の連絡係である僕にも何の連絡もきてなかった。

これは、どーすべきか???

勝手に帰ってもいいのか???

今日はレポートの提出日やし。

あれやこれやと悩んでいたが一つの仮説にたどり着いた。

はっ、そうだ。

僕達を試しているんだ。

僕達のやる気を試しているんだ。

僕は待った。

そのとき、誰かが言った。

「今日、休講〜。掲示板に書いてあった〜。」

これも僕達のやる気を試す彼の作戦の一部だ。

僕は待った。

みんなが帰る中、ただ一人、教室で待っていた。

僕達はみな食パンマンなんだ。

無限の可能性を秘めているんだ。

しかし、彼は来なかった。

いくら待っても、信じていた彼は来なかった。

そう、僕もまた食パンマン。

今はまだ自分の味を探している途中です。

今日の僕は涙で少しほっぺがふやけた食パンマンでした。
| けんた | - | 23:48 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP
【非日常】 Invisible Man
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彼はその時、ベンチでInvisible Manを読んでいた。

留学中のことでした。

到着二日目、

ヘイワードという丘の上にある大学に来たばかりで右も左もわからなかった。

そんな時、近場の湖に連れて行ってくれた人がいました。

とろあえず寮の人に片っ端から話しかけよう計画の一人目。

カフェテリアで一緒のテーブルに座って話しかけて、

そいつ、一人で湖に出かけようとしていたので無理やり押しかけて一緒に連れてってもらいました。

湖で僕と友達と彼の三人でボートに乗っている時にアメリカのドラマの話題になって、僕が「フレンズってゆーアメリカのドラマ面白いよな〜」
って彼に言ったら、

どこか哀しそうな顔で「俺はそのドラマは嫌いだ。」と言った。

「何で?」なんて聞くと、

「白人しか出ていないから。」

そう彼の肌の色は僕たちよりも黒かった。

ここはアメリカ。

色んな人種が入り乱れる国。

人種のサラダボウルなんてゆーが、どっちかというとビックマックな感じだったけど、それでも色んな色の人がいたことは確かだった。


ベンチでInvisible Manを読んでいた彼に僕は話しかけた。

「お〜、それってアレやろ?透明になって、女風呂を覗く話やろ〜?お主もムフフよの〜、読み終わったら貸して〜」なんて言ったら、

「違うよ〜。」とだけ彼は答えた。

2007年は5月になった時のこと、友達も増えてきて誕生日パーティーにも呼ばれた。

寮の一つの部屋に皆で集まって。

その日は中国人の女の子の誕生日。

騒ぐアメリカン、踊るヨーロピアン、飲むアジアン。減っていくテキーラ。

彼がドアをノックした時、チャイニーズのビッチが騒ぎ立てた。

「うわ〜、あいつがきた〜。」

「きも〜い、ドアを絶対開けないでね。」

そんないくつか戯言が飛び交っていた。

彼はドアを強く叩いた。

パーティーは何事もなかったかのように続く。

ドアを開けると、階段を下りようとしているぽつんとした寂しげな背中が少し遠く感じた。

ベンチでInvisible Manを読んでいた彼から貸してもらった一冊の本、

それは白人から存在を無視され続けるアメリカ黒人青年のアイデンティティを描いた物語だった。



PS.久しぶりにメッセンジャーでチャットした。

"Hey,Crazy Kenta.How are you?"って言ってきたから、

"I'm fine,and yoy?"なんて教科書英語で返したら

"I'm good."と彼は言った。




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| けんた | 留学 | 17:44 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP
お前のパーマは失敗や!!【日常】
「お前のパーマは失敗や!!」

二年前、心無い友人にそう言われたことがあります。

僕がめっちゃ気にいっていたにも関らず一週間くらい「炒めすぎた焼きそば」と言われ続けました。

そして先日・・・

スーパーの中に入ってる少々胡散臭いお店、破格のセール料金につられていくと、そこにはメンズエッグに出てきそうなお兄ちゃんがオレオレ営業。

指にかなぶんをぶら下げた上品なマダム達はご指名にご乱心で(指名料金・シャンプーともに500円)

シャンプーをしてもらってるマダムを横目でチラッと見ていましたが、何とも表現し難い表情をしていました。

この日のために、一週間くらい頭を洗っていないマダムもいるのじゃないでしょうか?

そんなこと考えてたら、今回は完全にパーマ失敗です。

何か両サイドがサザエさんです。

写真を音楽室に飾ったら、隣に山田耕筰が来ない限りは馴染んでしまう。

そんな感じです。

これならバッハやモーツァルトたちとも上手くやっていけるだろう。

もう僕には横巻きコンプレックスの歌を作る道しか残っていないのだろうか。

行き場のない天然パーマネントへの苛立ちを音楽への情熱へと昇華させた彼らのように。

横巻きコンプレックスの歌を作るしかないのか?と自暴自棄に陥りそうな僕を救ってくれたのが金八先生の一言でした。

「天然パーマに悪い奴はいない。」(4作目くらいで言ってたかもしれません。)

なぜなら、彼らは悲しみが多いからだと。

そして、人は悲しみが多いほど人には優しくできるのだから。

だから天然パーマに悪い奴はいないんだ。

天然パーマの人はいつも苦しんでいる。

何かくるくるしている自分の髪の毛に。

特にもどかしい思春期は時々、お父さんから感じる少しいやらしい視線ぐらい苦しんでいるという。

なぜ、俺(私)だけこんなにも苦しまないといけないんだ。

世の中の不平等性を訴えるとき、真っ先に出てくるのが、この「天然パーマネント問題」である。

広辞苑で「天然パーマ」を引いてみても「生まれつきの縮れ毛」としか載っていない。

ひどい言われようだ。

辞書すらそんな蔑んだ目で彼らを見ているんだ。

それまで僕は縮れ毛が生まれる場所なんて一箇所しか知らなかったんだ。

男女問題以上に面倒だとも言われるこの天パ問題。

いつもハエが絡まって抜け出せないんだ。

六月とか、じめじめしてて、もう地獄だろう。

もじゃもじゃ地獄だ。

彼らは六月のハエ取紙的なポジションなんだ。

さらに彼らは、世間の偏見という天パに絡まったハエでもあるんだ。

僕は天パじゃないから、天パの苦しみはわからないが、彼らが苦しんでいること、そして、その苦しみや悲しみを優しさに変換できる強さを持っていることは知っている。

だから、ベートーベンが変えられない自分への髪質へのやるせなさを綴った「運命」も、ハイドンがずっと天パだと思って信じてきた友人が実はパーマを当てていただけだと告白された時の絶望感を綴った「裏切られたまこと」も当時、天パが全国的に流行ったヨーロッパの大衆の支持を集めたんだとか。

(注・日本では山田耕筰が、天パとはまた違った頭部への悲しみや苦しみを曲にぶつけることによって大衆の支持を集めたという噂でもちきりです。)

だから、僕は自分の広辞苑にこう書き足しておいた。

「天パ、それは生まれつきの縮れ毛。そして、こいつらに悪い奴はいない。」と。

最後に広島県在住のふどぅんさん(仮名)から以前、寄せられたコメントを紹介させてください。

「どうでもいいけど、天パの人が坊主にしてちょっと伸びたら、パンチパーマになるよね☆」

そう、心無い一言は人を傷つけるのである。
| けんた | 日々 | 13:21 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP
【日常】 歩いて帰ろう。
20分に一回はトイレに行くおじいちゃんと県立の図書館で『お嬢様の英会話』を借りているギャルに挟まれて座っている高速バスの車内

僕はずっと おじぃちゃん少し漏らしていないだろうか?ということとお嬢様英語ってどんなんだろうか?ということを同時進行で考えていた。

きっとお嬢様だったら図書館で借りずに本屋で買うと思った。

大阪は難波に向う。

途中、権現湖パーキングエリアの小休憩10分中に、ラーメンを注文し、2、3分で食べるのが僕の楽しみだ。

短時間で熱いラーメンを食べつくす自分で少々エクスタシーを感じながら。

難波駅で近鉄線に乗り換えて、向うは三重県の津駅。

車内、僕を挟んで、おばちゃん同士が話をし始める。

同じガラの柄の傘を持っていたのがきっかけだ。

60ぐらいのおばちゃん同士が何だか盛り上がっている。

『36歳って息子はねずみ年?』『息子バイトってまさかドンキ?』

定職に着かない息子の心配がしたいのか、それともドンキで買い物がしたいだけなのか、どっちに重点が置かれているのかわからなかった。

耳元でがみがみ話を続けているおばちゃん達には正直、しんどかった。

中古のMDコンポが二台、同じ内容を1リピート再生している。

きっとスピーカーも壊れていてパーツ同士の接触も悪かったんだろう。

きりきりとした声でたまに音飛びもしょっちゅうあった。

僕は席を移った。

今度の席は、両隣は寝ているので安心だ。

向かいの席の肉まんみたいなおばちゃんは豚まんをほおばっている。

周囲に臭いを撒き散らすその豚まんおばちゃんも食べ終わるとすぐに眠りについた。

食べてから寝るまでの移行時間に一瞬の無駄もかんじられなかった。

だが、それが無駄な脂肪作りに貢献していることは言わずもがなである。

なるほど、豚まん肥満の方程式は脳内ですぐに解けた。

しかし、次の瞬間には僕の関心は、その隣のおばちゃんに移っていた。

豚まんおばちゃんのボンレスハムのような肩の辺りの肉を枕代わりにしているではないか。

見ず知らずの他人の腕を枕にするその図々しさ以上に、その居心地よさそうな寝顔に目がいってしまった。

これだ!!

デブの拡大再生産だ!!

夏場、疎ましがられる暑くて汗臭いおデブちゃん達だけれど

たとえば、肩から二の腕にかけての部分のお肉を集中的にたぷたぷさせる努力をさせて、夏場クーラーの効いている図書館に4〜5台置いてみてはいかがだろうか?

きっと心地よく昼寝を促してくれるだろう。

そんなこんなを考えていた僕だったが、左の方が静かになったのでさりげなくさっきのお喋りおばちゃん達の方をちらっと見た。

すると、さっきまでのマシンガントークはどこへいったのか。

別れ話が一段落したカップルのように静かではないか?

もう、あの戦場以上に燃え上がっていた二人には戻れないのか?

少しの隙間が二人の間の亀裂へと移り変わっていったのだろう。

だが、これでようやく、車両全体に平和で静かな時間が訪れた

と思ったのも束の間、次の駅で

騒がしそうな女子中学生が6人くらい乗ってきた。

もう歩いて帰るしかないのだろうか?



P.S 今日から4週間教育実習(三重県の中学校)だ〜!!頑張るぞ〜!!
| けんた | - | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP
【就活終了】 僕の好きな街。
昨日、第一希望の企業より内定を頂きました。

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ぽかぽかと暖かくて天気のいい日は、午後の授業を抜け出して一人自転車漕いで、古着屋やセレクトショップが並ぶ県庁通りをぶらぶらしたり、後楽園と呼ばれる庭園で、ピクニックシート敷いて昼寝するのが好きでした。

そんな岡山が僕は大好きです。(地元・三重県も好きですが。)

2004年春に入学してから、右も左もわからない僕をある先輩は自転車に乗って、僕に岡山の街を紹介してくれました。

2005年の学園祭 青髭とすね毛を剃って臨んだ女装コンテストでは、恥ずかしさも痛々しさも顧みず、電車男とレイザーラモンHGの仮装をした友人が会場にかけつけてくれました。

2006年には、留学生に岡山の街を紹介したりできるようにまでなっていました。

そして2007年、岡山駅の新幹線口での留学見送りの胴上げは一生忘れません。

思い出が詰まり過ぎとって岡山の街を離れれやんくなりました。

これからもずっと関わっていきたいと思い、岡山に地域密着型のグループ企業(総合広告代理業務してたり、「タウン情報おかやま」作ったりしてるところです。)に決めていました。

そこから内定を頂き、本当に嬉しいです。

僕にも桜が咲きました。

岡山を離れていった友人たちが、ふと岡山に立ち寄ったとき「やっぱり岡山っていいなぁ。」って、広告やタウン情報を通してそんな街作りの手伝いを来春からしていきたいです。

最後に、就職活動においてはいろいろな人にお世話になりました。お礼をいくら言っても言い尽くせないほどお世話になりました。今まで応援ありがとうございました。
| けんた | - | 16:42 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP
また帰るから。
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さりげなく近況をお知らせします。

12月10日    22回目の誕生日(何かください)

12月13日朝8時 アメリカを発ちます(見送ってください)

12月14日    日本着(誕生日プレゼント随時受付中です)



「これが(健太が日本に帰る前に)健太と会うの最後やな。また日本に会いに行くよ。元気で。」

就職して、別の州で働きはじめた友人が週末を利用して遊びに戻ってきた。

そしてまた帰っていった。

先週の金曜日のことだった。

19も言っていたけど、終わることを意識し始めると、時間の形が変わった気がする。

そういえば去年の今頃も、交換留学が正式決定したくらいの時期だった。

それから、駆け足で準備した。

留学を応援してくれていた人たちにお礼を言うべきはずの僕なのに、盛大に見送ってくれたことが凄く嬉しかった。

お世話になっておいて、お礼を言えなかった人も何人もいた。

今では何人かは日本各地に散らばっていったし、もうちょっとしても、また散らばっていくと思う。

また帰るから、お礼はその時に言おうって思った。

日本一周、青春18切符でいくお礼の旅みたいな感じで。

でも、今回は日本を発った時とはちょっと違うなって思った。

もう二度と会えない人もいるんじゃないかと思った。

変な意味じゃなくて、こっちでできた友達も、中国、韓国、台湾、タイ、マレーシア、カンボジア、ベトナム、フィリピン、サウジアラビア、インド、ターキー、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ロシア、フィンランド、ポーランド、スウェーデン、世界各地に帰っていく。

カリフォルニアだけでも日本より広い。

社会人になったら、簡単には会えないんじゃないかなって思った。

そう思ったら、今度は「また帰るから」って言葉はそう簡単には通じないんじゃないかなって思った。

季節の終わりごとに国へ帰っていった友達との別れを思い出した。

もう会えるのはこれが最後かもしれない。

そう思ってみんな泣いていたなって。

だから、日本を発つ前みたいにあたふたしてお礼を言えずに帰るってことのないように、少し前からお世話になった友人たちに手紙を書きはじめたり、Hang outしたり別れの準備をしていた。

そんな時、サンクスギビングの日に、旅行中に宿泊先でも書こうと持って行ったら、その手紙が入った鞄ごと盗まれてしまった。

財布とパソコンと一緒に。

悔しかった。

そのせいで旅行が楽しめなくなるのが嫌だったから、カード関係は電話してすぐ止めて、クレジットカードも緊急再発行して、そのまま旅行を続けることにした。

オレゴン州のAshlandという小さな街で久しぶりに再会したホストファミリー

7歳のAlecは「大丈夫、僕らが健太のパソコンを取り返してあげるから。」と言ってくれた。

そんな彼もその小さな街を出ていく時、泣いてくれていた。

僕は日本へ帰るんだってことを再認識した。

日中はほぼ毎日インターンシップで、夜中はその課題をこなして、一日一日と終わる日が近づいてくる。

盗難手続きとか保険の申請しやなって思ったり、それよりも先に手紙を書き直したいって思ってたら、過ぎてく時間にあせっとった。

でも、盗難事故のことを友達に話したら、パソコンに詳しい友人が安く買うのを手伝いをしてくれたので、新しいの買っちゃいました。。。。。

保険を信じて。

警察への盗難の報告を手伝ってくれる人や、励ましてくれる人もいた。

盗難被害のおかげで暖かい人に囲まれていたことに気づけた。

嫌なことがあればいいことに気づきやすくなるのが人の最大の特徴だと思った。

今、また夜中に手紙を書き直しているときは、前とはまた違った感情が出てきた。

「最後」という言葉が実際にもうそこまで来ている。

毎日、朝昼、インターンシップして、夕方 友達とHang outしたら、それでもう日が暮れる。

夜中に思い出を懐かしいと思いながら手紙を書いていると、いつのまにか朝が来る。

寝るのが惜しい。


ニールへ あえて日本語で書くけど

ニールがMIXIに挑戦しはじめた時は岡山で驚いたよ!!

ニールが岡山に帰ってきた時、僕はTOEFLの成績に伸び悩んでた時期やったから、日本に来て、日本語も勉強するニールを見て刺激された。

ヘイワードにやってきたばかりの時も、サンフランシスコを案内してくれた。

寒い風が吹く中、建っている橋に負けないように頑張ろうと思えるようになった。

日本に帰る前に何よりも一番したいこと。

それは落ち込んでるニールを何とかしたいこと。

今日の日記もニールへの感謝を言いたいから書いた。

友達が落ち込んでいるときには何かしたい。

友情は国境を越えることを証明したい。

日本語が難しかったら、英語で一言だけ

We are friends forever.と言わせてほしい。


電池切れの時計は勝手に止まっても、時間は一緒に止まってくれない。

土曜日、6月にバックパックで30マイルを共に歩いた友達の家に訪れた。

また10匹のチワワに追いかけられた。

日曜日、9月に就職した友人と寮の日帰り買い物旅行に参加した。

特に買い物もせずにずっと二人で喋っていた。

月曜日、寮の卓球大会。そういえば卓球を通じて友達がいっぱいできた。

火曜日、インターンシップのシフト上、今日会えるのが最後の友達が、「日本に会いに行くわ。」って行ってくれた。

水曜日、日本文化を伝えるイベントに友達が開始前から来てくれとった。
嬉しかった。

木曜日、インターンシップ最終日。夜は友達とエスニックな料理を食べに行った。

どの子もその日が最後のhang out

そんなこと考えると、気分がどんよりとした。

でも、そんな時に9月に韓国に帰っていった友達から、メールが来た。

「健太、12月のいつ日本に帰るん?冬休み遊びに行くから日本で会おうよ!」って。

凄く嬉しかった。

帰っても終わりじゃないやんって思った。

また帰ってくるから、その時は、ニールの家か、プレイボーイのルームメイトのところか、ズレたセンスのシャツを着ている福島訛りの先輩のところにでも泊めてもらおうと思う。

終わることを意識すると、優柔不断な自分の中の優先順位の一番が今、大事なんはここやで〜って僕に語りかけてくれてる気がする。

帰る前に、何か大きいことをしたいとかそんな気持ちはないけど、

ただ、一分でも一秒でも、お世話になった人達に「ありがとう」って言う時間を何より大切にしたいなって思った。

そんなこと考えていると今日も朝がやってきた。

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| けんた | - | 12:15 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP
隣の親父は加齢臭。
時間は少し遡ること約三週間前のお話です。

某広告代理店のインターンシップのための二次面接試験に向け、日本に帰る飛行機内、

隣の親父が臭かった。

うちの父と同じくらいの年齢(49歳くらい)と思われる彼、

その頭皮は太陽の申し子と言わんばかりの輝きを放ち、

体皮はワキガと加齢臭が混ざったような香を精製した。

これはそう遠くない我々の未来を暗示しているのかもしれない。

そんな彼は飛行機の揺れに合わせて、腰を少しふわっと動かしたんだ。

すると次の瞬間にさらなる異臭が僕の鼻を刺激したんだ。

そう放屁したんだ。

もうコイツ絶対、クリリンの天下一武道会の相手だったバクテリアンじゃないか?

機内の揺れに合わせ、ふわっと腰を瞬時に動かす仕草といい十中八九プロだとうと思われる。

幾人の目を掻い潜ってきたとしても、僕の目は欺けない。

だがここで、クリリンには鼻がないから、通じなかったが、両隣の晩ご飯を嗅ぎ分ける杉本家秘伝の嗅覚が仇になってしまっている。

臭いにやられてしまったのか、小さいころの記憶が蘇る。

あの頃の僕達、三重県民は確かにこう言っていたんだ。

「一発は一発やで〜」と。

(注・大人は違う使い方をするが、純粋な小学生にとっては、喧嘩になる前のちょっと肩が当たったりして、「一発は一発な〜」と言って軽く叩きかえす。「あーそっちのがちょっと強かったから、もう一発」を繰り返し喧嘩に発展するという流れを作り出すことばだ。大人になって突如この技を使い始める女性もいるとか。もちろん、大人の用法であって美人局(つつもたせ)的な用法だ。大人な文脈で使われる一発という言葉とかそのへんはもう勝手に各自で想像してください。)

とにかく、子供な僕は、一発の屁に対して、こき返してやったんだ。

今から、午前六時の飛行機に揺られ、ボストンに行って来ます。

みなさん、今度は隣がいい人であることを一緒に祈っててください。
| けんた | - | 21:53 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP
ずっとずっと。
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ずっとずっと一緒にいたい大切な人はいますか???

ずっとずっと残しておきたい思い出はありますか???


まずはこの一連の「インターンシップ(そこの会社に迷惑をかけるといけないので以後、某広告代理店とします。)一時帰国大作戦」でお世話になったみなさん、ありがとうございました。

家を貸してくれたり、車で迎えに来てくれたり、お願いを聞いてくれたり、インターンシップまで後押しし続けてくれたりと。

おかげさまで無事に再びアメリカに着くことができました。

今回の二週間の帰国中に多くのことを学んだ気がします。

大きく三つあります。

一つ目は、社会人としての自覚。

言い換えれば就職活動生≠大学生ということ。

スーツを着て会社を出入りするってことは自分は学生のつもりでも、スーパーのチラシ片手に道歩いてるおばちゃんからしたら、そこの会社の社員さんに見える。

インターンシップ先の社員の方々も僕達を同じ仲間としてみてくれていた。

それだけに、時間に対する甘さや、さらに個人的には、社会人として場の空気を読むことに欠けていた時があった点が今後の反省点だということが凄く悔しかった。

二つ目は、自分ってどこにあるの?ってこと

「ポジティブで明るくて積極性でフレンドリーで社交的」

自分で言うのもやらしいけれど、友達によく言われ、Mixiの紹介文の中に占める割合からしても多いこの項目。

緊張と疲れと風邪のため、インターン中、常にしかめっ面だった気がした。

ある社員の方に言われたのが「明るさ・元気さはもう少し前面に出した方がいいような気がします。」

言われた時は凄く凹んだけど、社員さんも自分の思ったことを正直にフィードバックしてくれたので凄く参考になった。

自分が思っている自分も人が思っている自分も全部、自分なわけで。

追い込まれた時や疲れた時こそ笑顔でテンション上げた方が疲れも飛んでったりしてって思ったり、自分から見える自分と人から見える自分にギャップがある時って、まだまだ成長中なんやととらえるようにした。

自分で思ってる自分と人から見える自分が一致したとき、その点は自信になるやんって思った。

三つ目は、これが一番大きかったけれど、生きる本質って何なのか?

って考えた時、死ぬまでに誰とどんだけ腹の底から笑えたかじゃないかなって思えたこと。

このインターンシップの中で、ある社員さんが生きる本質とは、「運、縁、恩、そしてその上に成り立つ愛」だとおっしゃっていた。

いわば「人生のあいうえお(愛、運、縁、恩)」だ。

それを自分流の解釈をすると、はじめに大泣きして生まれてきたんだから、チャンスを掴んで微笑んで、一期一会の出会いに笑顔して、お世話になった人達と一緒に大笑い、そして人が好きだと笑って死にたい。

そういえば一時帰国した時会った四年生の友人達は何か顔つきが違ってた。

社会人の方と接する中で社会人の顔になってた気がする。

12月14日(赤穂浪士の討入)に帰った時に、同年代の友人達は就職活動を終えて卒業を控えている。

その時はきっと「寂しいな〜」なんて言葉が出てくると思う。

僕は今、大学四年時に留学をしているから、卒業論文を日本で仕上げるために一年遅れで卒業をする。

これは、一緒に一年、二年、三年生って過ごしてきた奴らとは卒業の時期が違うことを意味しとる。

それをわかってて留学を選んどるんやけど、やっぱり寂しい。

一番、迷惑をかけている人たち。

うちのアパートが舞台になって鬼の格好して入ってきて家の中に豆を撒き散らした奴らもおった。

南オレゴンでの語学研修でも一番のヒーローのはずがいじられっぱなしだった。

主役のはずの誕生日もいじられっぱなしやったりもした。

でも、ずっとずっと一緒におりたいって思った。

アメリカに再び帰った時に、こっちでの人の温かさに触れたので、もー何てゆーか国境にもパスポートじゃなくてどこでもドアでも置いてほしいと思った。

いつまでも馬鹿なことを一緒にして笑ってたいと思う人達が歳をとるたび増えていく。

ほんといつまでも一緒に笑っていたい。

ずっとずっと。



最後に、ここの広告代理店が製作したCMですインターンで流れた時、泣きました。

マクセルDVD「ずっとずっと。」

http://www.zutto-zutto.com/report/index.html#1

(物語としてつながる、6本立てのCMです。 「ずっとずっと。新留小学校篇」〜「ずっとずっと。最後の日篇」まで全部見るべきです!)

感動しました。

P.Sインターンに惚れてここの企業についてもっと知りたくなりました。

先日アポとれたので、月曜日にLAにある支社を訪問してきまっす!!

何かこれ、聞きたいよってことがあったら教えて下さい。

頑張るぞ〜!! えいえいお〜くん!!


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| けんた | - | 20:14 | comments(1) | trackbacks(0) | ↑TOP
今宵の月のように
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失敗をしたくなかったら、何もしないことだけど、

何もしなかいことは何も始まらないことを意味している。

自分のしたことはよくも悪くも自分に返ってくるけれど、自分が何もしなかったら、何も起こらない分、「何も返ってこない」ということだけが返ってくる。

だから、杉本家では、『失敗』の同義語は『経験』で『失敗』の反意語は『成功』ではなくて「何もしないこと」を意味している。

午前二時に泊まっている大阪のホテルの近くのコンビニまで散歩しいていた時、月を見上げながらふとそんなことを思い返した。

そういえば二年前にも僕はこの辺りに歩いていた。

留学を目指して、そのための資格試験TOEFLを受けに大阪まで何回も来た。

一回で2万円近くする受験費、少しでも交通費を節約しようと、往復7時間のバスに乗って。試験時間は4時間で少し眠たかった。

そんな日々を思い出した。

その時、何度も通った道だから今回、迷わずにホテルにも着いたし、コンビニまでも迷わない。

いよいよ今日からインターンシップ(職業体験)だ。

振り返ると、

留学先のサンフランシスコ(の近く)から10月14日(日)に一時帰国した。

目的は17日に行われる二次面接選考を突破して、インターンシップを受けること。

流行に敏感で応用も効かせられる僕は、アメリカでルームメイトにもらった風邪と日本で流行っていた風邪をミックスさせることができたが、薬は効かなかった。

それでも休んでいる時間はない。

15、16日と時間を有効に使おうと、就職活動の準備を行った。

スーツ、証明写真、岡山大学のキャリア支援室、虫歯治療に歯科の先生とのゴスロリ談義、そして散髪。

就職に気合を入れるために剃ったモミアゲ跡が青いのだ。

僕が何か言う度に、面接官の方に『冗談はモミアゲだけにしとけよ』と罵られたらどうしようと、そんな不安が脳裏をよぎったんだ。

受かるかわからない二次面接選考のために、大金を払って一次帰国することに後悔はなかったのか?

落ちる可能性は考えなかったのか?

帰りの飛行機でそんな質問を自分に投げかけていた。

でも、受けなきゃ何も始まらない。

行動を起こすことによって、そこに初めて「何も起こらない」以外の結果が生じる。

それがたとえ面接を落ちるという結果であっても、「面接を受けなかったので何も起こらない」という結果とは全く次元が違うと感じていた。

バイトで貯めた留学資金150万円、それは就職活動の資金でもある。

だから、面接を経験するいい機会だから、経験を惜しまないことを選んだことも自分にとってのいい経験だと考えるようにした。

そして、17日、待ちに待った人生初の面接の日。

一次書類選考時から、この日に至るまで多くの友人・先輩達が支えてくれた。

「読みづらい」「素の自分をぶつけろ」「素って字から味の素を連想した」

今まで避けてきた自分を見つめなおすエントリーシートを書くという作業を振り返った。

あの日々があって今がある。

ドキドキする間もなく、結果は翌日に届いた。

通過の通知だった。

嬉しい余韻に浸りながら、少ない滞在期間を最大に生かすためにキャリア支援室に通った。

今日したことは明日、結果でなくても来年の今頃の自分の役に立っているかもしれない。

そう思いながら、15日の月曜日から今日まで毎日、キャリア支援室に通っていた。

ボストンで行われるキャリアフォーラムのためのレジュメ作りのために。

歯医者にも通った。

一年前の今日、しなかった虫歯の治療が今日の僕も苦しめた。

アメリカの歯科治療費は馬鹿高いからずっと我慢してた。

そういえば、以前は無口だった行きつけの歯医者のおっちゃんは最近、やたらと話しかけてくる。

僕がうざいくらい話しかけてた結果かもしれない。

瀬戸大橋ができる前にサンフランシスコに視察に行ったとか言って、自分が載っている視察団のパンフレットもノリノリで貸してくれた。

何かメル友になりそうな勢いだ。

岡山とサンノゼは姉妹都市で

瀬戸大橋とゴールデンゲートブリッジは姉妹橋。

サンノゼは僕の留学先から近い都市で、シリコンバレーやアップル本社が有名です。

ゴールデンゲートブリッジを懐かしく感じた僕は瀬戸大橋にも会いたくなった。

だから週末に会いに行った。

留学はゴールデンゲートブリッジへと続いていて、その橋は岡山へと瀬戸大橋へと続いていた。

今日、泊まったホテルは以前に留学の試験を受けた会場から一駅のところで。

僕がやってきたことは全てつながっている気がした。

はじめは留学試験の会場を探すのに道に迷った二年前の日々が今日泊まる予定だったホテルの場所を迷わずに見つける手助けをしてくれた気がした。

全ては偶然かもしれないけれど、何もやらなかったら始まりもしなかった。

だから、自分のしきてたことは自分に返ってくる。

だから、全てはつながっている。

そんなことを考えていた秋の夜長でした。

明日から三日間、がんばるぞ〜!!お〜!

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